能率手帳の何番
「能率手帳の何番がいいの」
そう言いながら本屋さんの文房具売り場に向かった。
私は「能率手帳」と聞いて
「そういえば最近能率手帳って見ないな〜」と思った。
しかし能率手帳は名前を変えていたのですね・・・汗。
能率手帳は今「NOLTY」なのです・・・知らなかった。
そして彼女(私の母親ですが)は、
一生懸命に自分の欲しい番号の手帳を探していた。
しかし、残念ながらそれはなかった。
「「手帳の〇〇」を2冊買ったけど、使いにくくって人にあげちゃった。
今使っているのもイマイチだから探しているんだけど、
どこに行ってもないのよね」
そんなことを言いながら、「これの方がいいかな?」と言い
自分が探しているのと違うのを買おうとしている。
「今使っているのは人にあげよう。これの方が良さそうだし」
いやいや人の使った手帳なんか使う人いないでしょ??
思わず突っ込みたくなる気持ちを抑えながら、
自分の母親の行動を見ていた。
結局購入はしなかった・・そして世の中に不幸な人を作ることは
なかったようだ・・。
彼女の求めるものが何かあるのだ
「何が良いのか」
それは私にはわかりません。しかし、母親には何かがあるのでしょう。
使いやすさかもしれないし、
持ちやすさかもしれない、
私はそれを聞きませんでしたが、きっと何かあると思います。
彼女にとっては「手帳といえば」なのでしょう。
製品を作くる人
製品を販売する人
製品に愛着があればあるほど、その製品の素晴らしいところ話をする。
話の内容は、性能であるかもしれないし、
他の同じような製品にはついてない機能かもしれない。
そして彼らは、その製品のそのような部分の話をする。
もちろん製品としては素晴らしい。
ただしお客さんにとってそれらの性能や機能が
本当に素晴らしいかはわからない。
逆にお客さんは「そんなことはどうでもいい」のかもしれない。
お客さんが求めているものは何か?
お客さんの求めているものは本当は何か?
性能か?
機能か?
実はそのどちらでもないのだ。
お客さんが求めているものは、どれだけその製品が
自分の困っていることを解決してくれるか
満足させてくれるかのどちらかなのだ。
はっきり言って、性能も機能もどうでもいいのだ。
それを製品を作っている人
製品を販売している人はわからないのだ。
だから、性能や機能の話を永遠とお客さんにしてしまって
結局は売れないのだ。
大切なことは性能や機能が、そのお客さんに
どんな素晴らしい結果をもたらすのか?
そのように翻訳を加えて伝えなければお客さんは全く理解不能になるのだ。
例えばスマホのカメラ。
従来品より性能が3倍アップしました。
それをそのまま
「今までのカメラより性能が3倍アップ」
と言ってもお客さんは理解不能だ。
ではこれではどうだろう。
「今までよりも3倍綺麗な写真が撮れる」
少しはわかるような気がするけどまだまだ・・
では
「今までよりも3倍いいねがつく写真が撮れます」と書いたら、
インスタをしている人であればピンとくるのではないだろうか?
こうやって、お客さんがわかるような言葉に
翻訳をして、性能や機能を伝えないと
誰もわかってくれないのだ。
それはイコール製品が売れないということだ。
性能や機能には興味がない
はっきり言って、
お客さんは製品の性能も機能にも全く興味がない。
お客さんが興味があるのは、
それによって自分は何を得ることができるのか?
ただそれだけ。
性能や機能は、
お客さんの何を解決する
何を満たすことができる
それがわかる言葉に翻訳して伝えなければならないのだ。