まさかの手計算??
「私たちの時代は現場で手計算だった」
「だから私たちの時代は、誰もが数字を知っていた:
私がヘッドフォンを外すと私の耳に大きな音が飛び込んできた。いや「音」ではなく、「声」だ。
私は打ち合わせに向かうために電車に揺られていた。午後、電車は空いている。私は座って仕事をしていた。降りる駅が近くなり、ヘッドフォンを外して降りる準備を始めた。そこに男女の声が飛び込んできたのだ。
その男女、どうやら仕事で自分の会社の支店に行っていたらしい。だから立場的にはマネージャークラスですかね??
会話は支店での話。どうやら、売上の情報を支店のスタッフ全員が知らないのが気に入らないようだ。
「私たちの時代は・・・」
色々と話をしながら出てくる枕詞が「私たちの時代は・・」だ。
私は、「売上情報を共有できない」と「手計算」は関係がないような気がしますけど・・・。その二人は、確実にその視点しかない。「私たちの時代は・・」を連呼している。
でも、今の時代に「私たちの時代は・・」と話を持ち出しても私は全く意味がないと思います。
そして、そんな話誰も聞きませんよね??
自分たちだって、そう言われた時代がありましたから。でもそんな時に「私たちの時代には・・」的な話聞かなかったでしょ!!だから・・・・汗。
よく何か問題があるとすぐに「私たちの時代は・・・」を持ち出す人がいますよね。上記の二人もそのパターンですよ。言いたい気持ちはわかりますよ。あなたも、私もきっとそんな時代を通ってきているので。
私たちの時代のやり方は廃れた??
でも時代は変わりました。
今の時代に、「私たちの時代」にやっていたことは完全に廃れているのです。今の時代には、今の時代に適したやり方があるのですから。
私はそれよりも、もっと本質的なことを考える必要があると思います。
「情報が共有されていない」
それが問題なのであれば、「どうしたら情報共有ができるか?」を考えるのでしょうね。まぁ、その考えの結果が「手計算をすれば」だったら大変ですけど。
「売上の数字を共有できる方法」イコール「手計算をする」
これではおかしいですよね。だからもっと本質的なことを見つけないとです。
もしかしたらそれは「スタッフ全員に売上の重要性の教育をする」かもですよね。
そもそも売上集計をしていることすら知らない人がいるかもしれませんからね。だから、とにかく「私たちの時代は」っていう前にその問題は、なぜ起こってしまっているのか?
その最も根幹にたどり着かないといけませんよね。きっと、聡明な読者のあなたはわかっているとは思いますけど。